『平田 崇昭選手インタビュー』

(SPEEDチャンネル「ニュース&トピックス」より〜2004年6月 ON AIR)

1994年ふるさとダービー小松島優勝を始め、常に特別戦線で
闘って来た平田崇昭選手。
その平田選手を2001年12月、突然病魔が襲った。
そして翌年の春まで入退院を繰り返すことになる。



大晦日の夜だったんですけど、家で横になってた時に痙攣を起こしまして、
それで、家の者が救急車を呼んでくれて、病院に運ばれて。

後から聞いた話だったんですけど、悪性の腫瘍だったらしくてまぁその、
治療しなければ余命一年って、そこまで言われたんですけど。はい。
えー、何で俺が、みたいな・・・。もう真っ白だったです、その時は。

頭に腫瘍があったんですがそれを取っちゃうと後々その、いろんな後遺症とか
出てくるんで放射線治療と、抗がん剤ですかね。そっち使って、僕もまだ若い
って言われたんで、体力的にもまだ大丈夫だから、頑張りましょうって。

一時退院して病院から家に帰ったときに、家で気晴らしにスピードチャンネル
とか見て、たまたまダービーやってた時があって、やっぱり見てたらもう1回
この舞台に立ちたい、っていう気持ちがだんだん、強くなって。
じゃもう、良くならないと、と思って。
2002年10月の久留米F1で約10ヶ月ぶりにレース復帰。
その後も着実に競走得点を上げ
2004年後期、遂にS級1班復帰を果たした。



基礎体力がかなり落ちてたんで、歩いたり、走ったり。
あとウエイトトレーニングとか、ですかね。
もう、ゼロからのスタートだったんで、手探り状態の中でやってました。

何かわくわく、ですかね。わくわくしてました。
また走れる、っていうのがあって。
そう、走れる喜びっていうのが大きいですね。
せっかく、またもらった命なんで。

昔から追い込み屋で戦ってきてるし、スタイルを変えることはないと
思うんですけど、とりあえず脚がないと、今の競輪勝てないんで、まぁ
脚力つけるためにも若手とも一緒に練習したりしてますし、より実戦に
近い練習をして、レースでどれだけ身体が動いてくれるか・・・。
瞬時に身体が動いてくれるようになれば、昔の自分に戻ったかなと
思いますけど。

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