1994年ふるさとダービー小松島優勝を始め、常に特別戦線で 闘って来た平田崇昭選手。 その平田選手を2001年12月、突然病魔が襲った。 そして翌年の春まで入退院を繰り返すことになる。 大晦日の夜だったんですけど、家で横になってた時に痙攣を起こしまして、 それで、家の者が救急車を呼んでくれて、病院に運ばれて。 後から聞いた話だったんですけど、悪性の腫瘍だったらしくてまぁその、 治療しなければ余命一年って、そこまで言われたんですけど。はい。 えー、何で俺が、みたいな・・・。もう真っ白だったです、その時は。 頭に腫瘍があったんですがそれを取っちゃうと後々その、いろんな後遺症とか 出てくるんで放射線治療と、抗がん剤ですかね。そっち使って、僕もまだ若い って言われたんで、体力的にもまだ大丈夫だから、頑張りましょうって。 一時退院して病院から家に帰ったときに、家で気晴らしにスピードチャンネル とか見て、たまたまダービーやってた時があって、やっぱり見てたらもう1回 この舞台に立ちたい、っていう気持ちがだんだん、強くなって。 じゃもう、良くならないと、と思って。 |
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2002年10月の久留米F1で約10ヶ月ぶりにレース復帰。 その後も着実に競走得点を上げ 2004年後期、遂にS級1班復帰を果たした。 基礎体力がかなり落ちてたんで、歩いたり、走ったり。 あとウエイトトレーニングとか、ですかね。 もう、ゼロからのスタートだったんで、手探り状態の中でやってました。 何かわくわく、ですかね。わくわくしてました。 また走れる、っていうのがあって。 そう、走れる喜びっていうのが大きいですね。 せっかく、またもらった命なんで。 昔から追い込み屋で戦ってきてるし、スタイルを変えることはないと 思うんですけど、とりあえず脚がないと、今の競輪勝てないんで、まぁ 脚力つけるためにも若手とも一緒に練習したりしてますし、より実戦に 近い練習をして、レースでどれだけ身体が動いてくれるか・・・。 瞬時に身体が動いてくれるようになれば、昔の自分に戻ったかなと 思いますけど。 |
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